「瞑想」の難しさ
よく心が疲れた時などは、瞑想をするというススメがあると思う。30代の普通のサラリーマンである自分が瞑想を試したこともあるのだが、なかなかうまくいかない。
5秒くらいは何も考えられない状態になっているとは思うのだが、10秒も経つと何かしらの考え事が頭の中に浮かんでくる。
まったく自分の脳を制御できていないわけだが、もしまだ瞑想というものを試したことがない人がいれば、トライしてみてほしい。全く自分の脳を制御できないということに気が付く。
さらに瞑想の難しさは、その効果のわかりづらさ(感じづらさ)にある。瞑想をしても、脳内の話であるので、現実の変化はもちろん起きないし、自分が試した3か月程度の中では、特に何か効果が感じられるということはなかった。関連する本などを読んでも、瞑想の効果を感じるのは一筋縄ではいかないようだった。
瞑想の難しさは、「1. そもそも行為の難易度」と、「2. 効果のわかりづらさ」であり、それがゆえに継続がかなり難しい。
「瞑想」の代わりになるもの
となると、より瞑想をお手軽にできないのかということになる。これは実はある。運動だ。瞑想の目的は、頭の中を空っぽにすることである。これはいわゆるゾーンに入ると言い換えても、大きくは違わないと思う。ゾーンに入るということは無我夢中になるということであり、我が無になるわけだ。
ゾーンに入るのは誰かしら一回は経験したことがあると思う。これなら瞑想よりもハードルは低い。オススメするのは、ジョギングを5kmくらいすることだ。ジョギングは走るだけであり、頭で考えることが少なく、単純作業である。また5kmくらいだと運動をしない現代人にとっては、多少疲れを感じる距離だと思う。
つまり、簡単な作業+そもそも身体が疲れるというジョギングをすることで、疑似的に瞑想状態を作ることができる。
効果
では、瞑想状態は(疑似的に)作れるとして、結局効果はあるのかという話になる。これは基本的には、実体験ベースで効果があると感じている。ここで自分の例を紹介する。
とある日に、いつものランニングコースを走っていた。これまでの経験上、走る際は、頭であと何キロで今この疲れだから…のような形で考えながら走っていた。たまたまブログのことを考えながら走ることにしてみた。
そうすると、これまで残りの距離を考えながら走ると途中でどうしても疲れて歩いてしまうことが多かったのが、走るということとは別のこと(ブログのこと)を考えながら走ると、そっちの方がタイムが良かったのだ。
同じ人間が、同じコースを走っていて、異なるのは頭の中だけだ。つまり、頭の中のことではあるのだが、今のつらい状態のことを考えなくなるだけで、調子が良くなったのだ。
迷いのない人は強い
一般的に、迷いのある人間は、そこに賭けることができずに中途半端になってしまうことがある。迷いは、自分の目標に対する敵なのだ。
これまでは走る中で、残りの距離を考え、迷いを生じさせることが、タイムが出ない原因だった。瞑想状態を作ることで、迷いを消し、その結果残りの距離に迷いなく向き合うことができたわけだ。
これが瞑想の正体ではないかと自分は思っている。つまり、瞑想状態を作るということは迷いを消すという行為だった。


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