「大谷翔平はすごい」ではない
「大谷翔平はすごくない。すごい人が大谷翔平という人だった」と思う。これを友人の前でいうと「何言ってんの、お前?」という反応になる。当然の反応だと思いつつ、本当にそう思っている。(スティーブ・ジョブズも同じだ。彼がいなくてもiPhone(のようなもの)はできたと思っている。)
これはどういうことなのかというと、元から「すごい人」という枠があって、そこにたまたまハマった人が、「すごい人」になるのだ。
「実力も運のうち」
「実力も運のうち」というのは、マイケル・サンデル氏の書いた本の名前で、能力主義に関して記載されている。かなりこの本の影響を受けている。(というよりそのまんまかもしれない)
どういうことかというと、大谷翔平も
- この野球がある時代の
- 日本の岩手県で
- 今のご両親のもとに
生まれるなどの条件があったため、今のようなスター選手になっているということだ。(野球のない江戸時代に生まれていたら、ここまでスターになっていなかった可能性がある)
また、「努力ができたのは大谷がすごい」からという意見もあるとは思う。これも「大谷が努力ができた」のではなく、「努力ができる性格をもっていたのが大谷だった」という考える。
つまり、大谷がすごいのではなく、たまたま持った素質が時代に合い、大谷になったのだ。
現在の自分に悲観する必要はない
ここまでを踏まえると、もし今うまくいっていなかったとしても、悲観しすぎる必要はないということになる。たまたま今の環境に合わない素質だったり、もしくはまだ自分の素質を発揮できる「何か」に出会っていないだけかもしれない。
すでにポジションがあって、そこの素質をたまたま持っていた人が、そこにポジションをとることができる。(素質を持っていた人が頑張った結果、そこのポジションになったとは考えない)
大谷翔平も運だし、今の自分も運である。


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